

【80年代を駆け抜けた”映画スター”たちの夜明け前】
映画ブログをやっているアラフィフの人間としてどうなんだ?
と、問われるかも知れないですが、本作”アウトサイダー”今回が初見でございました。
もちろん本作の存在も大まかな内容も、出演している俳優さんについても十分知識としては持っておりました。が、何故か今まで未視聴だったんですね。
果たして、なぜこのタイミングだったのだろうか?正直自分でも謎です。
ただ1つ。こういった青春モノはあの頃に観ておけばもっと感情移入できた、とか人生変わったかもと、思いがちですが、本作に限って言えば、自分は50歳を過ぎたこのタイミングで観ることが出来てよかったと思います。その理由についてはまた後ほど。
時代にはその時代なりの個性があると思います。
そう。この作品は公開された1980年代の個性というものがこれでもかと色濃く出された作品です。 古くから受け継がれる題材を丁寧に80年代流にブラッシュアップし、リアリティーを感じさせつつも、映画というエンターテイメントの枠を逸脱しない、絶妙なバランスで成り立っていた時代。 出演者はスター性が光る逸材揃いで、演技云々や雰囲気は差し引いても それが良い悪いの話ではなく、”スター”という言葉がピタリと当てはまるほど画面の中でキラキラと輝いており、名実ともにスターを体現しています。
虎視眈々とトップを狙う勢いのあるギラついた演技と表情が見もので、後のブラット・パックの中に名を挙げるエミリオ・エステベスを筆頭に、この作品の後、ハリウッドの頂点へ駆け上がっていく俳優たちが一堂に会している本作。 私の中ではアメリカ映画版 東映まんがまつり と、称したいほどの豪華さとワクワク感です。
音楽もまた素晴らしい。 劇中で使われているBGMが”BGM”と呼称するよりも”劇伴”と呼称したほうがしっくり来るような楽曲陣。古いと言ってしまえばそれまでですが、風景を映し出すような繊細さがそこにはあります。 若きスターが力いっぱい駆け抜けた青春映画。あの頃の”時代”の熱気を感じつつ誰にでも”訪れる”もしくは”訪れた”青春”というものを感じ取ってほしい

【若さの特権 ~輝きと間違いと成長~ 】
街の西側に住む、山の手の富裕層おぼっちゃま集団”ソッシュ” 街の東側に住む貧困層不良グループ”グリース”
この二つのグループの対立を描く本作。
グリースの精神的リーダー格であり、ストリートのカリスマであるダラス。
彼は”不良”という生き方をショーケース化したようなキャラクターで、若さゆえの行き場のないフラストレーションを抱えるも、フラストレーションを解放するすべも知らない。
主人公であるポニーボーイやジョニーはダラスを兄貴分と慕う少年たち。
将来に対する不安や家族に対する不安や不満を抱えています。
父母を交通事故で亡くしたポニーボーイ、その親代わりを務める長男のダレルと次男のソーダポップ。
家族を支えるダレルも兄としての立場、父親代わりとしての立場、グリースの一員としての立場の狭間で、それ相応の想い悩みを抱えます。 そんな彼等の抱える悩み、不安。それはまさに若者に与えあられた(課せられるといったほうが適切か?)特権ではないでしょうか。
そして彼等は仲間との交流や過酷な経験を通してその壁を乗り越えていこうとします。
その選択が必ずしも”正当解”であるとは限らない。
時として彼等は間違える。そして間違っていると分かっていても、泥沼へでさえも突き進む。
そしてそこから新たな自分なりの答えを導き出すのです。これがまさしく成長であり、若さの特権ですね。
そこに映る真剣に悩む姿、悩みながらも行動する姿は、若者が全力で生きている輝きを発しており、かつて青春時代を過ごした自分には眩しく映ります。
本作品では物語に介入する大人らしい大人はほぼいません。全ては若者たちの視点で描かれます。
ソッシュしかり、グリースしかり、彼等の”ルール”や”価値観”全て若者によって作られます。だから彼等の行動や発言はどれもエネルギッシュでキラキラしていますが、その反面もろい。
もろさゆえの危うさを、綱渡りの状態で生き抜いていく”アウトサイダー”の面々。 彼等のがむしゃらさに青春時代を思い出し、自身を投影せずにはいられません

【争い、対立という永遠の謎】
若者同士の対立の構図。
こういったシチュエーションはこれまでにもさんざん扱われてきたテーマであり、おそらく今後も作られていくでしょう。
その対立の舞台となるのは若者たちの小さなコミュニティーですが、これこそが「世界の縮図」ではないでしょうか。
ポニーボーイは「グリースの一員」であることに強い自覚を持っています。それでも物語が進むにつれて、ソッシュとの泥沼の抗争に意味を見いだせなくなってきます。しかしそれはソッシュ側も同様。
決闘の前に、ポニーボーイはソッシュの幹部 ランディーと静かに話をする機会が訪れます。
以前、喧嘩の際に勢いでソッシュのリーダーであったボブをナイフで刺し殺してしまったグリースのジョニー。そのジョニーとポニーボーイ、ダラスは火事の現場で、身を挺して子供たちを救出する。その時にジョニーは大火傷を負う。
そのニュースを聞いたランディーは
「なぜ子供たちを助けた?」とポニーボーイに問います。
ポニーボーイは
「有名になりたかっただけなのかも」
と、世俗ぶります。
ランディーは
「俺ならきっと子供たちを見殺しにしてる」
もう何もわからなくなった。グリースがそんな人助けをするなんて…と、ランディーは心情を吐露する。 そこでポニーボーイが一言。
「グリースかどうかは関係ない」
きっとこの時点でポニーボーイにもランディにも明確に答えは出ていたはずです。
しかしランディーは力で勝っても 社会的立ち位置 (富裕層、貧困層)という構図は絶対に崩せないのだと告げます。
それが絶対であると信じているゆえの悲しみからか、ソッシュとしてのメンツのために詭弁を言わなければならない切なさなのかは計り知れないが、その時のランディーの表情はどうしようもなくやるせない。

ランディーが去った後、「ソッシュの野郎なんだって?」とたずねるツービット。
「ソッシュじゃない。話をしにきた普通の男だ」
と答えたポニーボーイ。
そう。ソッシュの人間もグリースの人間も冠を外せば一人の普通の人間。
後半のシーン、ソッシュの少女チェリーとの会話でも、やはり彼女は「ソッシュとしての立ち位置」の話をします。
そこでポニーボーイは、ふと尋ねるのです。
「サウスサイドから見える夕日はきれいかい?」
うん、きれいに決まってるじゃないと答えるチェリー。
「ノースサイドから見える夕日もきれいだ」
そう。どこから見たって、同じ夕日は同じように美しい。
今更ながら、世界各国で起きているあらゆる争いも、結局はここに落ち着くのではないでしょうか。
住んでいる場所によって、見える夕日の美しさは変わらない。相手を思いやる気持ちや、人を助けることに、所属や冠なんかいらない。みんな、ただの普通の人間なのです。
こんなにも簡単な構図が、住んでいる場所、コミュニティー、宗教、その他諸々の瑣末な記号によって、いとも簡単に複雑で残虐な構図へとすり替わってしまう。
こういった対立や争いの「永遠の謎」は、一体いつになったら解けるのでしょうか。
そして、ポニーボーイのような純真な心は、私たちが大人になっていく過程の、一体いつ、どこで擦り切れてなくなってしまうのだろうか。
街のカリスマだったダラスのあのギラついた冷徹な瞳も、かつてはこんな夕日の美しさを知っていたのだろうか――。
画面に映る彼らの不毛な血の果てに、僕たちはそんな答えのない問いを、自分自身に突きつけずにはいられないのです。

【Stay Gold】
本作品はスティービー・ワンダーのStay Goldと言う曲で始まり、締めくくる。
このStay Goldという曲、本作途中でポニーボーイが朗読するロバート・フロストの詩「Nothing Gold Can Stay」をモチーフにされていて、物語の根幹に当たるテーマが歌われる。
ソッシュのリーダーであるボブをナイフで刺し殺してしまい、逃亡したジョニーとポニーボーイ。逃亡先の教会で朝焼けを見て感動するジョニー。それは霧のおかげで金と銀に輝き、さらに美しさを増していた
その時にポニーボーイがロバート・フロストの詩を詠む。

輝きはいつか消える 自然の最初の色は金その色移ろいやすく
自然の最初の葉は花 その生命はかない
葉はいつか葉に埋もれ、楽園は悲しみに沈んだ
今日もまた夜明けは去り、輝きはいつか消える
この詩に感銘をうけたジョニーは、自然、色をはじめてしっかりと見た気がするという。

その後、火事から子供を救ったことでジョニーは大火傷を負う。以前は死にたいと洩らしていたジョニーもフロストの詩に触れたことでもっとたくさんのものを見たり、色々な場所へ行ってみたいという気持ちから、生きたいと願うようになる。
そしてソッシュとの決闘を終え、ダラスがジョニーを見舞い、グリースの勝利を告げると
「意味ないよ…争いなんて無駄だ」と。
やはりジョニーも争いの無意味さにはもう気づいていました。
そしてポニーボーイへ
「輝きをなくさないで…」
と、言い残して亡くなります。

物語のラストはジョニーの遺言で幕を閉じます。
自分が死んでも子供たちを助けたことは後悔していない。彼等には輝かしい未来があるから。
誰もが子供の頃は金だ 子供には全てが新しい
夜明けのように夕日をみて美しいと思うポニーボーイも金だ。だからいつまでも変わらないでいてほしい。
ダラスはきっと夕日を見たことがないから一緒に見てやってほしい。世界は美しいんだって言うことをダラスにも教えてやってほしい

おそらく、輝くような朝焼けを見て変われた自身の感覚をダラスにも知ってほしかった。そして早く無意味な争いが亡くなり、輝く未来に目が向けられるようにと望んでいたんでしょうね。
Nothing Gold Can Stay(輝きはいつか消える)だからこその stay gold(輝き続けろ)
先述した”私がこの作品をアラフィフになって観られたことのタイミングの良さ”というのが、まさしく”stay gold”の一言につきます。
おそらく若い頃に観ていればそれなりの感動はあったと思いますが、あらゆるものに守られて平和な環境で生きている若い頃の自分が”stay gold”という文言を突きつけられても、本当の意味での理解は不可能だったと思います。(現在でも本当に理解できているかどうかなんてわかりませんがw)
輝く美しい朝焼けを観て、フロストの詩に触れたジョニーのように私も思い出しました
あの頃に比べても相変わらず自分の身の回りは平和で、大きな争いごとはありません。
それでも私なりに、現在地にたどり着くまでに色々なものを捨ててきた気がします。
おそらく捨てなければならない人が大半ではないでしょうか。
それでも譲れない部分、守りたいもの、それぐらいは持ち続けていたい。
それが私なりの”stay gold”です。
ポニーボーイやジョニーのように。

監督 フランシス・フォード・コッポラ
公開 1983年
上演時間 91分
C・トーマス・ハウエル
マット・ディロン
ラルフ・マッチオ
パトリック・スウェイジ
ロブ・ロウ
エミリオ・エステヴェス
トム・クルーズ
ダイアン・レイン


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