【時をかける少女】SFジュブナイルが紡ぎ出す現在・過去・未来の悲しみと希望
正直、10代の頃に観た『時をかける少女』は特にピンとこなかった。SFというジャンルへの苦手意識も理由の1つだっただろう。しかし、時を経て何度か観返すとその度に面白みが増してくるのである。不思議な作品だ。
映画というものは自分自身が経験を積めば積むほど観返す度に新たな視点で物語が動いていく。その傾向が顕著な本作はジュブナイルと銘打っているものの、その実かつて少年少女だった人達へ向けた動く絵本だ。
土曜の午後の実験室で起こる不可解な事故。そこから紡ぎ出される現在・過去・未来の悲しみと希望。

転校生に続く尾道3部作の第2作目。SFと尾道という絶妙なクロスオーバーする世界を是非今、改めて体感してほしい。
【3日間に凝縮された10年の記憶。モノクロから色彩へ、鮮やかに動き出す世界】
タイムリープ作品の先駆け。本作は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のような、過去や未来を自由に行き来する「タイムトラベル」を主軸とした壮大な物語ではない。
尾道を舞台に繰り広げられるのは叙情的かつ独創的でSFという枠だけではおさまらないタイムリープ・ストーリーだ。
物語は土曜の午後の実験室で起きた事故からの「3日間」を軸に展開される。しかしその3日間の中には10年分にも匹敵する重みの出来事が詰め込まれ、和子、五郎、深町の人生に新たな青春の1ページを刻みつける。
「転校生」同様、本作もイントロはモノクロのスキーのシーンから始まる。
面白いのはここからだ。スキーシーンが終わり本編に入るまでの列車での中での談笑パートがモノクロからパートカラーへ、続いて菜の花畑の中を走っていく電車のシーンで徐々にフルカラーへと移り変わっていく。この繊細な風景描写を「色」で見事に表現しきった手腕は見事と言わざるをえない。

物語の要所要所で織り込まれるパートカラーの技法も秀逸で、個人的にはパートカラーの代名詞とも言える黒澤明監督の「天国と地獄」と肩を並べるほどこの手法を効果的に使い切った演出と感じている。
【アナログが映し出す非日常と郷愁】
公開当時1983年。世はSFX全盛期。奇しくも同年にはスターウォーズ ジェダイの復讐も公開されている。
最先端技術が席巻するさなか、本作はSFXとは程遠い、極めて「アナログ」な手法を選択した。
それがスチルカメラによる静止画の連続で描写されるタイムリープのシーンだ。
それは一見チープであるが、どんな最新の特殊効果よりも形のない「時をかける」という現象をリアルに具現化してみせた。



スチルカメラのカット割りは流れていくフィルムでは表現しきれない一瞬一瞬の「時」を鮮烈に提示し、そのアナログな質感が尾道という街の持つ郷愁感と見事に共鳴する。そこに先述のパートカラーの演出が加わることにより唯一無二の「時の流れ」を生み出している。
現代のアニメーションなどにも今なお影響を与え続けているこの表現は、映画というエンターテイメントを芸術の域まで昇華させている。まさに百聞は一見にしかず。是非ともその目で確かめていただきたい。
【振り向いた瞬間に完成するエンディング。再会が紡ぐ、それぞれの解釈】
別れの形というものは様々だ。そこには悲しみ、憎しみ、希望、感謝など多層的な感情が交錯する。
例えば死別であれば、肉体としての役割を終えた主の不在を、自然の摂理と考えれば感覚的にはなんとなく折り合いがつけられる。
だが、本作で描かれるのは互いの思いが通じ合い、生きながらにしての永遠の別れである。たった3日間の中に凝縮された10年以上の思い出が皆の中から痕跡もなく消え去ってしまう。その残酷さは計り知れない。
「またこの時代にやってくるが君には僕がわからないし、僕も君がわからないし見つけられない」そう告げる深町に対し、和子は「私にはわかる」と応える。

ここまで派手ではなくても、ある程度人生を経験すればこういった筆舌に尽くしがたい経験の1度や2度はあるのではないだろうか? そう。この、言葉では言い表せない胸の疼きこそが、本作を「SFジュブナイル」の金字塔たらしめている理由だろう。 少年少女にはこの感覚を人生の指針として受け取ってほしいし、かつて少年少女だった大人たちには、この切なさを深く懐かしんでほしいと思う。
原作の相違点として本作には別れの後のアフターストーリーが用意されている。 別れから3年後、大人になった和子と深町の再会。記憶を失った二人は、わずかな言葉を交わして通り過ぎる。
ふっと振り返る深町。意味深な視線を送り、また歩き出す。 続いて振り返る和子。そして彼女もまた、歩き出す——。

個人的には深町は記憶を消さずに和子に会いに来たと解釈していますが、如何様にも解釈できるラストなので観る者それぞれの中に自分だけのエンディングを完成させる事ができます。この余韻こそが本作の醍醐味であり、後に続く『バタフライ・エフェクト』や『シュタインズ・ゲート』といったタイムリープ作品群に多大な影響を与えたことは、想像に難くない。
【時を経て気づく「憂い」の正体。彼女の瞳が物語の世界観を完成させる】
本作品は映像、ストーリー双方魅力的であることは間違いない。
しかし先述の通り、私は初見ではイマイチピンと来ていなかった。
それが回を重ね人生の経験を積むことによりストーリーへのフォーカスの当て方や感じ方、物語の解釈の幅の広がりが変わってきて気づけば深く引き込まれていた。
本作に限らず映画、小説、音楽といった媒体には受け取り側の経験値が、大きく関わってくるものだが本作は特にそれが如実だ。なので、節目節目に観ることで作品と同時に「その時の自分を感じる」そんな楽しみ方を知っていただきたい。
そしてもう一つ、触れずにはいられないのがヒロイン・原田知世の存在だ。
誤解を恐れずに言えば、本作での彼女の演技は、技術的な意味での「名演技」とは言い難いのかもしれない。だが、彼女は「表情」で演じるのだ。ただそこに佇む表情だけで。
特に物語後半、別れを予感し、憂いを帯びた彼女の表情は、本作の持つ儚い世界観を見事に表現しきっている。あの「揺らぎ」こそが、観る者の心に消えない残像を刻みつけるのだ。

様々な楽しみ方を内包した本作。あなたもぜひ、自分自身の“時”を重ねながら楽しんでいただきたい。
podcast版 週末シネマノート ”おじさん、時をかける少女を語る”
監督 大林宣彦
公開 1983年
上演 104分
出演
原田知世
高柳良一
尾美としのり
岸部一徳
根岸季衣
【あらすじ】
尾道の坂道、どこか懐かしい風景の中を駆け抜ける高校生、芳山和子。
平穏だった彼女の日常は、ある土曜日の放課後、誰もいないはずの理科室で一変する。
床に落ちた試験管、そこから漂う不思議なラベンダーの香り。
意識を失った和子が目を覚ましたとき、彼女が手に入れたのは「昨日と同じ今日」を繰り返すタイムリープ能力。


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