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podcast版 週末シネマ ”今週の彩る5曲”

公開当時は19歳、当時色々とこじらせていた私は、流行り物や恋愛ものは邪道、そんなものはエセ映画好きが観るもんだろうと、見向きもしませんでした。バカですよねー
ヒットした本作、当時友人たちはしきりに“感動した”を連呼しておりました。そうなると青二才のガキな私は”常人とは違う”ムーブをかましどんどん遠ざかっていきます。
数年後、レンタルビデオ店にて、まぁ観てみるか程度の軽い気持ちでレンタルしました。
別段期待もせず鑑賞した本作でしたが、その時はまさかこの作品が自分の人生に大きな影響を与える作品になるとはつゆ知らず…
この作品に初めて触れたのは確か22〜23歳頃。あまりにもピュアな内容に感動したのははもちろんのこと、
「映画を楽しむのに変なプライドやこだわりなんかは必要ないんだ」
と、自分の浅はかさを思い知らされました。
あれから何度か観返しておりましたが、今回このブログの記事にするにあたって、久々の鑑賞。
あの頃、可愛らしいあの2人に笑わされ、泣かされ、観終わった後には瑞々しい気持ちになったことを思い出しました。
そして今回はそれに加え新たな気付きもあったりで、映画や読書は年齢、経験を積み重ねることによって新たな観方ができるとも再確認できましたね。
舞台は1972年のペンシルバニア州。

今まで本作を少女の成長譚を主軸として観てきましたが、今回鑑賞して新たな見どころがありました。それは
1972年という風景。
必ずしもこの作品が映し出すものが全てじゃ無いことは重々承知ですが、確実に現代よりもゆっくりと流れる”時”というものに郷愁のようなものを感じました。
森、湖、町並み 決して故意に演出しているわけではないのでしょうが、画面に映し出される1972年はとても穏やかで、世界はゆっくりと流れています。子供達を取り囲む優しい大人たち。そんなところも”時”の流れの緩やかさの起因の一つかもしれません。
11歳のベーダーとトーマス・Jが繰り広げる、楽しく静かな、そして悲しいひと夏の成長譚。
そんな穏やかで緩やかな1972年の夏。軽快な音楽たちとともに、少年と少女は私たちに何を教えてくれるのでしょうか。
トーマスJとベーダー ~幼少期からの卒業の始まり~
本作の主人公である ベーダー
葬儀屋の家庭で育ち、母親の死に罪悪感を持つ女の子。
いつも死の影に怯え、自分が病気なんじゃないかとパニックになり、大人ぶって背伸びをしながらも、その実、とても繊細な心の持ち主。
そしてもう一人の主人公 トーマス・J。
アレルギー体質で一見弱々しそうな優しい男の子。
この二人の関係は実に微笑ましく、私は相手が子供ながらも
「こんな素敵な幼少期を送りたかったなぁ」
と、ジェラシーに似た思いを抱いた覚えがあります。

湖畔の柳の下で——大人の扉が開いた「ファーストキス」
二人の構図は「おませな少女とそれに振り回される弱々しい男の子」のように写りますが、
「感情が乱高下するベーダに静かに寄り添うトーマス・J」というのが正解だと想います。
恋をして、死に怯えて大騒ぎするベーダの横で、何も言わずに同じ歩幅で自転車を漕ぎ続けた少年の包容力。
大人ぶってお姉さんしているベーダーよりも、一枚も二枚も上手で大人。大人の自分でもなかなか真似できないですね。
それでも時折見せる子供らしさがとても可愛いです
そんなデコボコでも仲の良い2人に、幼少期からの卒業の始まりが訪れます。
母はベーダーを産んですぐに亡くなってしまい、育ててくれたのは父と祖母。
その父もこの夏の終わりに、葬儀屋で雇ったシェリーと結婚が決まった。頭では理解は出来るものの、なかなかに受け入れがたいベーダー。
すると今度はベーダーに初潮が来ます。否が応にも大人の扉を開けざるをえない。
そんな肉体的にも精神的にもアンバランスな時に、葬儀場で起きたトラブルを父に叱責されます。叱責されたベーダーは怒って外に出ていき、湖畔の柳の下でトーマス・Jと話をします。

人はなぜ結婚するのか?
と、問うベーダー
愛=結婚 の図式が理解できない。なんなら愛するということすらも怪しい。
そう、恋に恋をしている状態。この問いに「大人の習慣さ」と答えたトーマスJは実に優秀だと思います。
すると今度は
キスしたことある?
と。トーマス・Jが「ない」と答えるとベーダーが「2人でキスしてみない」と提案します。
そして2人のかわいいファーストキス。

「先生に振られたら、僕も候補する」——生涯一度の恋心が決まった瞬間
自分では理解不能の感情のなみが押し寄せて、どうしたらいいかわからない2人。互いに話す言葉も見つからない。
バツの悪いベーダーが「なにか言ってよ」と言うとトーマス・Jは
「アメリカ合衆国の旗に忠誠を誓います」

と、忠誠の誓いの言葉を唱えだし、最後は2人で唱和します。
このシーンの後、2人で自転車を引きながら帰路につくわけですが、二人ともどこか収まりが悪そう。そしてさっきのキスは永遠に二人の秘密にしようと誓います。
おそらく二人ともこの時点で「もう無邪気な子供の頃には戻れないんだ」と、なんとなく察知していたはずです。
”キスをしてみれば何かがわかるかもしれない” と、思ってしてみたキスはベーダーにとって余計に混乱を招くことになった。
一方、トーマス・Jははっきりと自分の気持ちに気づきました。自分の恋心がはっきりと決定づけられた、生涯一度の瞬間だったはずです。
別れ際、トーマス・Jはベーダーに言います
「ベーダーが好きな先生に振られた時、僕も候補する」

なんといじらしくも男らしい。
男と女。方向は違えど互いに大人の扉を開け一歩踏み出し始めた夏のある一日。
かわいくもあり少しさみしくもあります。
突然のお別れと成長
絆のシンクロ
ベーダーはムードリング(つけている人の気分で色が変わるおもちゃの指輪)を気に入ってつけていましたが、ある日トーマス・Jと森で遊んでいる時、ハチに襲われ逃げる際に紛失してしまいます。
それを知っているトーマス・Jはいじらしい告白の後、再び森へ指輪の捜索に出かけます。
その場所にはあの時落としたハチの巣がありました。もうハチはいないと思い、足でつつくトーマスJ。
地面の落ち葉を払いながら指輪を探していると、ベーダーの指輪が見つかりました。ベーダーもきっと喜んでくれるだろうと指輪を拾い立ち上がります。
すると、もういないと思っていたハチの巣からは大量のハチが…気づいた時にはすでに遅く、賢明に振り払うも大量のハチに刺されるトーマス・J。

トーマス・Jにはアレルギーがありました…場面はトーマス・Jのメガネが地面に落ちるカットで切り替わります。
トーマス・Jはハチに刺されたことによるアナフィラキシーショックで亡くなります。
トーマス・Jの死を父からの報告により知るベーダー。突然の知らせに理解が追いつかないベーダーは病院へと駆け込みます
「苦しくて息がが出来ない」
「痛くて死にそう、ハチに刺されたの」
当然そんな事実はありません。
葬儀屋の娘ということもあり死というものは観察対象、妄想だったベーダー。それが突如、現実として最も大切な存在を奪った事によるパニック。
そしてトーマス・Jが苦しんで死んだという事実だけで、自分の半身が引きちぎられるような激痛を感じる、純粋すぎる絆のシンクロですね。
今振り返っても、果たしてここまで心の通い会えた友人が自分にはいただろうか?
これほどの友が生涯通じて一人でもいたことは輝かしことだと思います。それがトーマス・Jの死と引き換えだということはあまりにも悲しすぎますが…。
初めて見せる等身大の11歳
ショックで部屋に閉じこもってしまうベーダー。葬儀の時間になっても葬儀会場にはやって来ない。現実として受け止めたくないのか…
それでも遠くから見送ろうと階段から覗くベーダー。ここからは恐らく、本能での行動。

神父さんが参列者を前に話をする中、涙で頬を濡らし、悲痛な面持ちで、それでも視線はトーマス・Jの棺桶から外すことなくトーマス・Jに近づき、そして語りかけます。
「もう一緒に木に登れないのね…かわいそう…」
涙ながらに叫びます
「メガネはどこにいったの?」「メガネを掛けてあげて」

天国に行ってもメガネがなければ何も見えない。誰もが思っていても口に出せなかったトーマス・Jへの優しさをなんのてらいもなく叫びます。
涙無しでは観られないこのシーン。ベーダーが初めて見せたであろう純真無垢な等身大の11歳。
飾り気が無い分、ストレートな思いが余計に胸を締め付けます。
死というものを現実として受け止めるには余りにも身近すぎた死。
悲しみをひとりでは抱えきれないベーダーは葬儀場を後に、片想いをしている担任の先生の元へいき 先生のことを本気で愛している ここで一緒に暮らすと 告白します。
しかし先生には秋に結婚する婚約者がいることがわかります。
自分では処理しきれない感情の暴走。先生ならなんとかしてくれると思ったものの、結果、感情は更にかき乱され、先生の元からも走り去ったベーダーはトーマス・Jと語らった湖畔の柳の木の上に。
トーマス・Jとの思い出にふけります。

ベーダーが帰宅したのは夜も更けた頃、ベーダーの表情には寂しさは残るものの、どこか達観した表情も見られます
大切な友人との別れ、初めての失恋 父の再婚 それに加えての 初潮を迎えるという身体的変化。
あまりにも急で過酷すぎる少女時代からの脱却と人間としての成長。おそらく11歳の彼女は自分なりの感情の答えを見つけ出したのでしょう。
私たちは生きている
そして成長したのはベーダーだけではありません。
妻の死を上手く消化できず、娘のベーダーとの接し方も手探りだった父 ハリー。
彼もトーマス・Jの死をきっかけに、死んだもの、残されたものの 在り方を見つめ直し 新たな道を見つけ出しました。
トーマス・Jの葬儀前。落ち込み塞ぎ込んで葬儀会場に来ないベーダー。
それを心配した婚約者のシェリーはハリーにベーダーを慰めてあげてと言います。
それでもハリーは今はトーマス・Jを無事に送り出すことが僕の努めだと 現実から逃げます。
父 ハリーも娘のベーダーも 死の影の中で時間を止めてきました。そこに来てトーマスJの死。
この家の人達はまた死の中に閉じこもろうとしている。そう感じたシェリーはこう言います。
「死者に同情するだけでいいの?私達は生きている!」

これは一聞すると非情なようにも聞こえますが、、なんて的を射た言葉なんだろう。
そうなんですよね。私たちは生きているんです。死というものは悲しい現実ですが、それでも生きている人間にはまだ先がある。
死んだもののためになんて綺麗事は言いません。生きているものは生き抜くということが責務だと思います。そしてどう生きていくか…
ベーダーが帰宅しベッドに入った頃、ハリーはベーダーのもとにやって来てくる。寝顔を見て立ち去るつもりが、ベーダーに
「私は人殺し?」「大切なママを殺しちゃったの?」
と、尋ねられます。
シェリーの言葉が届いたのか、ハリーはここでベーダーと母の死と対峙します。
ベーダーのせいじゃない、誰のせいでもない あれは不慮の事故だ。
この言葉を皮切りに、母はどんな人物だったか、死んでしまって悲しくないのか、など,
会話をすることにより、2人は母、そして妻の死というものを共有します。

「思い出は大切な宝物だ」
そう言って今まで母の死というものを避けてきたことをベーダーに謝ります。
「これからは幸せになるんだ、もうメソメソするな」
この言葉を残しハリーは寝室を後にします。
これはハリーが放ったベーダーそして自分自身への新たなスタートの静かな号砲。
輝かしい未来が訪れること切に願います。
変わらないものと新たな道
指輪への想い
トーマス・Jの死がきっかけで、ベーダーと父ハリーの間にあった見えない壁は、2人の心を交わした会話のおかげで少し崩れたのかもしれない。
数日後、カフェでお茶をしていた2人。そこに通りかかったトーマス・Jの母。
ハリーの「その後、お元気ですか?」の問いに「まだ気持ちの整理がつかない」とセネット夫人。

「まだ夏休みのキャンプに行ってるような気がして」
沈痛な面持ちで語るセネット夫人。非常にリアルな台詞に心がえぐられる。
そしてセネット夫人はベーダーを呼ぶ。
「これがあの子の指にあったの」
と、財布から指輪を取り出しベーダーに差し出します。
そう、あの時ベーダーがなくしたムードリングです。
ベーダーがいつもつけていた時は石は黒色。黒は不安やストレスを表します。
トーマス・Jの指についていた時は青くなっていました。青は幸せを表します。
その指輪をじっと見つめるベーダー。青く光る指輪がベーダにとっては救いだったかもしれません。
また必ず遊びに来てねと、告げその場を後にするセネット夫人。夫人を呼び止めベーダーはこう言います
「私のママがトーマス・Jを守ってるわ」
ベーダーは父との会話で “死” というものをしっかり現実のものとして受け止め、消化しました。
もうここにはママもトーマス・Jもいない。それでも自分の心の中からは消えることはないんだ。そんな思いが伝わります。
魂の詩と、少女が見つけた「静かな決意」
夏休み初め、詩が何であるか知らないまま、先生への憧れだけで受講した詩の講習会。
その時に初めて発表した詩は詩と呼ぶには余りにもお粗末な仕上がりでした。
そこでベーダーは、詩とは自分の秘密や魂を込めたものだと先生に教わります。
もう来るつもりのなかった詩の講習会。最終回の講義にベーダーは静かに現れ、詩を朗読します。
涙を流して泣く柳の木 なぜそんなに悲しむの?
大好きなあの子がいなくなってもう二度と会えないから?
懐かしいあの頃
柳の木をいつも揺らしていた少年
木陰は少年の隠れ家
あの子の笑い声を思い出す
柳よ泣かないで 苦しみや悲しみに負けないで
死は私たちを引き離せない
少年はいつも心に生きている

朴訥ながらも自分の魂を込めたこの詩において、柳の木はベーダー自身の分身です。
悲しみを悲しみとして受け止め捉え、“死”という現実を「少年はいつも心に生きている」と自分自身に言い聞かせる、静かで力強い決意でした。
ベーダーが現れる前、”詩人とは” と、話していた先生の話すら薄っぺらく聞こえてしまうほど、純粋無垢な想いが綴られた素敵な詩。
これは紛れもなく誰に宛てられたものでもない、ベーダーがベーダー自身に送った詩なのでしょう。
詩の朗読後、絶妙なタイミングで入ってくるテンプテーションズのマイ・ガール。
映画史に残る最高の演出です。
夏が終わり、歩き出す少女
「心に刺さった骨が取れて私は元気になった」
こんなセリフと共に映し出されるベーダー。
そこに映るのはボーイッシュだったパンツスタイルから一転し、ワンピースをまとった可憐なベーダーのー姿。
失くしたはずの自転車のリボンは新しく結び直され、彼女の横にはジュディーという新しい女の子の友達がいます。
そして最後はこの言葉で幕を閉じます。
「そして、ニクソン大統領が再指名された」
ニクソン再選に象徴される1972年という一つの時代の変わり目。
それはトーマスJと過ごした無邪気な子供時代の終わりであり、まだ小さなベーダーが、生きている大人の世界へ一歩踏み出したという宣言でもありました。
時は流れます。
大事なものは不変のものとして心に留め、成長という新しい道を新たな友と一緒に…
マイ・ガール。
このマイという言葉に込められていたのは決してトーマスJの想いだけではありません。ハリー、シェリーそして登場する人々すべて、この映画を見守る私たち全員の想いがベーダーをつつみ込んでいたのでしょうね。

マイ・ガール

公開 1992年
監督 ハワード・ジーフ
主演 アンナ・クラムスキー マコーレ・カルキン ダン・エイクロイド ジェイミー・リー・カーティス
上映時間 102分


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