映画『八つ墓村』1977年版考察!野村芳太郎が描いた祟りとオカルトの金字塔

ホラー

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ミステリーmeetsオカルト オンリーワンが生み出した功と罪

本作品公開前年1976年に公開された 犬神家の一族。

石坂浩二主演で現代の皆が知りうる ”金田一耕助” というもののロールモデルを確立。

監督は市川崑。おどろおどろしさの中にも映像美を取り入れ、物語の悲哀を演出し、緻密なロジックで怪事件を推理していくという、金田一シリーズ1作目にして様式美のようなものを作り上げてしまう。その手腕はさすが市川崑といったところ。

そしてその翌年。真っ向から逆のスタイルを貫くかのごとく公開されたのが本作 ”八つ墓村”

存在感の薄い金田一(原作でも主役は寺田辰弥なので金田一は控えめ)にド派手な演出。

推理そっちのけ、オカルトテイスト増々で同じ金田一作品とは思えない本作。

公開から約50年経つ今も尚、市川崑の金田一シリーズに負けずとも劣らない人気で 原作 八つ墓村を越え、野村版 八つ墓村 として 1つのブランドを作り上げている。

私はリアルタイムで劇場では観てはいません。後に金田一耕助という響だけでテレビを観てしまい、トラウマを植え付けられた1人であります。

テレビで鑑賞したのが当時小学生の2年生ぐらいだったと思いますが、ホラー映画ではないはずなのに、怖くて眠れなくなったのは後にも先にもこの八つ墓村だけです。

実在しないおばけの存在よりも、リアリティーのある多治見要蔵の狂気に本気で恐怖しました。

トイレの扉1つ開けるのにも 

「この扉の向こうに多治見要蔵がもしいたら…」ってな感じで。

この作品、劇場の大きなスクリーンで観たら恐怖もひとしおでしょうね。当時、劇場で鑑賞した方のお話も聞いてみたいものです。

もし本作を今、スクリーンで観ることが出来るとなったら…大人になった今でも恐らく少し躊躇してしまうような気がします…

そんなトラウマを私に植え付けた八つ墓村。この作品の持つ刺激というものには、妙な中毒性があり、恐怖しながらもそれ以降、何度も観てしまうんですね。まさに劇薬です

原作を改変し、ミステリーファンから物議を醸した ある種の問題作。それでも尚、愛されてやまない 野村版 八つ墓村 の魅力とは一体なにか?


壮大な迫力で描く”野村流”横溝ワールド

マンパワーが魅せる圧倒的な迫力

1977年から約50年。現代においてあらゆる技術は革新的に進歩し、それは撮影技術、映像技術においてもまた然りである。

昨今ではPCを使った撮影手法(CGやモーションキャプチャー)の台頭により表現の幅が大きく広がりました。また、ドローンの出現でより深みのある高度な演出が可能になった。

だからこそ知って欲しい。

マンパワーで作られた半世紀前の八つ墓村は、昨今の技術に勝るとも劣らない迫力でオープニングから観るものを魅了することを。

例えば、本作冒頭、尼子の落ち武者一行が新天地を求め、山深い渓谷や壮大な滝を彷徨い歩くシーン。

ドローンで撮影すれば、更に俯瞰でいい画が取れるかも知れないが、あの時代の限界が見せる”味”のようなものを感じるし、自然の迫力を伝えるという意味において現代でも十分通用するレベルの撮影だ。

滝をよじ登ろうとする落ち武者たちは、かなりの高所にもかかわらず演じているのはスタント・役者陣で、現代でれば、安全基準の面においても確実にNGが出るレベルの撮影であろう。現代なら如何様にも撮影方法はあるのだろうが、画面越しからひしひしと伝わる緊迫感。これはアナログな手法にしか出せない演出ではないでしょうか?

そして8人の落ち武者がたどり着いた山頂から眼下の八つ墓村を見下ろすーここから物語が始まる。

広大な自然が印象的で、今回観なおし、改めて本作がオカルト一辺倒の作品でないことを確認しました。

そしてもう一つ。

物語のクライマックスにおける多治見家の炎上シーン。あの印象的で迫力のある炎上シーンは鳥取県にて多治見家に模したセットを組み実際に文字通り燃やして撮影されています。

これもまたCGでは絶対に出せない”本物というリアル”を演出しています。

まだ映画がエンターテイメントの旗手であり、製作予算的にもエネルギーに満ち溢れていたあの頃。

映画というメディアが発揮できる魅力を存分に打ち出した演出手法の1つではないだろうか。そしてあの頃の”時代”というものを象徴するような撮影技法でもあるような気がする。

もう一つのマンパワー

そしてもう一つのマンパワー。それは紛れもなく、この作品を裏で支えたスタッフ達の凄まじい人力である。

本作はロケ地を探すためだけに1年半を費やしている。これだけでも、この作品に対する熱意が伝わってきますね。

物語後半の要となる鍾乳洞。事前に野村監督がノートに書きとめイメージした洞窟。これをもとにスタッフは全国の鍾乳洞を巡り歩き、ロケ地を探し、全国から7箇所の鍾乳洞が選ばる。

その7か所の鍾乳洞を使い、あたかも一つの大きな鍾乳洞のごとく撮影されています。

更に、もう一つの要。舞台となる八つ墓村の選定。

この物語の最大のキーポイントである、因習、怨念。そんな雰囲気を醸し出すのは東北だろう。と、いう野村監督とカメラマンの川又昂氏の発想から、ロケハンは東北から始まり、関東、北陸を巡り、たどり着いたのが岡山県。

八つ墓村の画で作品の良し悪が決まる!とまで考えていた野村監督のイメージへの執念ですね。

しかし、苦労はこれだけでは終わらない。

プロットとして最終的に焼き尽くされることが決定している多治見家。屋敷のモデルとなるのは歴史的建造物でもある岡山県に実在する広兼邸という屋敷。

もちろん文化財である広兼邸を燃やすわけにもいかず、実際にはセットを組んで燃やすわけですが、単純にセットを組んで燃やすだけではありません。

演出上、実際の広兼邸のロケーションと繋げても違和感のない風景の中に巨大セット組まなければならないのが条件。

そういった厳しい条件のもと、“焼き尽くされる為だけの多治見家”は鳥取県に決まりました。

スクリーン越しではうかがい知ることの出来ないロケハンの苦労の数々。

ロケハンの苦労というものは本作に限ったことではないでしょうが、伝聞だけでも、並々ならぬ執念を作品に注ぎ込み、それがクオリティーとして作品に直結しているのがわかります。

まさに全スタッフのマンパワー集結によって作られた作品。これが面白くないわけがない


野村版 八つ墓村ブランドの確立~原作改変と圧倒的な視覚的効果

未知なる冒険への挑戦

誤解を恐れずに言えば”八つ墓村”というイメージは原作よりも、本作の野村版 八つ墓村の印象の方がはるかに強いのではないでしょうか。

緻密なロジックで推理をする金田一耕助の物語。と、いうよりも、「たたりじゃー」の叫び声や、異形の様相で桜並木の闇を疾走する多治見要蔵のビジュアルが先行してしまいますね。

それほどまでに本作による視覚の効果というものが絶大であったということでしょう。

実際私自身も野村版 八つ墓村 が初めての体験で、原作を体験したのは随分後のことでした。

原作は、映画に比べて非常に落ち着きのある本格ミステリで、アガサ・クリスティーのABC殺人事件が下地になっています。

映画版とは別の話じゃない?

と、言うくらい共通点が少なく、エンディングはミステリーとしての意外性はありつつも、映画に比べると非常に静かな決着を迎えます。

(それでも原作には原作の面白みが凝縮されていますので、当然オススメの1冊です。)

では、どうして野村版 八つ墓村 がここまで大胆な改変に踏み切ったのか?

本作の最初の脚本は橋本忍氏ではありませんでした。前任の脚本家による脚本の完成の目処が立たないということで名匠・橋本忍氏に白羽の矢が立ちました。

その橋本忍氏、原作をどう観せるかということを考えるタイプの脚本家ではなかったのです。

”原作に忠実性を望むなら小説を読めばいい”

そんな考えの橋本忍氏は、映画としての強度を強くし、いかに映画というメディアで2時間を感動させ、圧倒させられるかに重きを置いていました

そんな橋本氏の信条が大胆な原作改変に踏み切った要因の1つですね。

そして、橋本氏は、この八つ墓村の脚本を書くにあたり、原作の大筋のラインは残すものの、自身が以前から温めていたプロット(日本怨霊記)を本作に落とし込み、ミステリー ミーツ  オカルトと、いう前代未聞の融合を行い、八つ墓村の脚本を完成させました。

映画化の企画が持ち上がったのが1975年。世界的なオカルトブーム真っ只中。

映画ではエクソシストやオーメンが大ヒット。

八つ墓村には確実に追い風が吹いていました。

心霊、因習を横溝ワールドに絡めるのではなく、あくまで横溝ワールドを下地に心霊、因習を全面に色濃く打ち出すという、ある種、大博打的な展開に挑んだ形にはなったものの、先程述べた制作陣の熱い想いと独自の発想がオカルトブームの波に乗り、大成功という形になりました。

大幅な原作改変。これは確実性のない未知なる冒険への挑戦だったでしょう。

しかし、その冒険をオカルトに振り切るという英断が、一過性のブームで終わらず、野村版 というブランドを打ち立てた要因の1つではないでしょうか。

やるならとことん~ビジュアルという圧倒的強み~

文字には文字の強みがあります。文面から読み手がイマジネーションをふくらまし情景、容姿、心情 どのようにも変化させられます。

しかし、裏を返せばそこが弱みでもあります。読み手のイマジネーション以上には膨らまないのです。

その点、視覚という効果はイメージは固定されてしまうけれど、記憶に残る圧倒的なインパクト=印象 という点において、これ以上のものはないのではないでしょうか?

そして、その強みを極限まで活かし切ったのが 本作 野村版 八つ墓村です。

本作 八つ墓村 に限らず、横溝作品の映像化では当然、視覚的アピールがある。犬神家のスケキヨ、佐武の菊人形。獄門島の釣り鐘による首の切断シーン などなど、挙げればキリがありません。

それでも本作の視覚的アピールは他作の比ではなく、これでもかと迫りくる衝撃と映像の迫力は確実に観る者に深く何かを残すはずです。

村人による落ち武者惨殺シーン  

多治見要蔵による32人殺しのシーン 

美也子と辰弥の洞窟でのラストシーン などなど

とにかく演出も演技も派手。TOO MUCH ギリギリのライン。

しかし、ここまで徹底的にやったからこそ、半世紀たった今でも、後続の八つ墓村作品が越えられない壁として君臨しているのではないでしょうか。

落ち武者惨殺シーン。ショッキングなシーンの連続ですが、最後は落ち武者の長、尼子義孝の生首が晒されるシーンで終わるのですが…最後に生首が目を開きにやりと笑う…

惨殺されているシーンでも、今際の際に顔面は白塗りになり、青い瞳となった尼子義孝は完全に異形の者と化しています。

当時小学生だった私は、見たことのない異形の者に度肝を抜かれました。

そして、異形の者の恐怖の後に訪れるのは静かなる狂気の恐怖。

そう、八つ墓村の代名詞と言っても過言ではない多治見要蔵の32人殺しのシーンです。

多治見要蔵 出で立ちは頭に2本の懐中電灯 和装 白塗りの顔 猟銃と日本刀。この異形なる者が村人を次々と手にかけてゆくのですが、ここもショッキングで目を覆いたくなるようなシーンの連続。

しかし、それ以上に怖いのが、一切のセリフなし、表情なし、それでも狂気だけはひしひしと伝わってくるという演出

多治見要蔵の全身から漂う狂気のオーラがとにかくすごい。圧倒的です。

多治見要蔵のビジュアル プラス、山崎努の怪演が功を奏し、狂気という もしかしたら現実でもおこりうるかも というリアルな恐怖が私にトラウマを植え付けました。

いや、私のみならず、トラウマを植え付けられた方は数多くいるのではないでしょうか?

こうやって有名なシーンを2つピックアップしたわけですが、細かいシーンを挙げれば本当にキリがないくらいに視覚で訴えかけてきます。

そう、やるならとことんなんです。結果、この舵取りは成功以上の成果を残しています。

実は、原作では落ち武者惨殺も32人殺しもそれほど多くページを割かれているわけではありません。

あえてそこにフォーカスを当て、観客を視覚的にジャックし強烈な印象を残した。これは完全に製作者サイドの勝利ですね。

そしてその読みこそが野村版 八つ墓村を唯一無二のブランドへと押し上げた最大の要因だったのではないでしょうか。


野村版 八つ墓村が打立てた大きな壁

配給収入も20億近くに達し、松竹映画の歴代に残るヒット作となった野村版 八つ墓村。

しかし、圧倒的な存在感を示した一方、八つ墓村の映像化というものに対して大きな壁を打立ててしまいました。

果たしてその壁は功なのか罪なのか?

八つ墓村という作品、現在でも横溝作品の映像化回数において1位の犬神家の一族についで第2位という屈指の人気を誇る定番タイトル。

参考までに1977年に本作が公開されるまでには、映画が1951年に1本 TVドラマが1969年 1971年に各1回。

1977年以降は1978、1991、1995、2004、2019年にそれぞれドラマ化で計5回 1996年には市川崑で映画化。本年2026年には清水崇監督による新たな映画化。

1977年以降の映像化回数、これは明らかに野村版 八つ墓村が築き上げた大きな功績でしょう。

さて、人気の鍵とは一体何か?

物語の面白さはもちろん、やはり視聴者が望むのは多治見要蔵や落ち武者殺しなどのセンセーショナルなビジュアル的刺激ではないでしょうか。

私もそのうちの一人なのですが、新たな映像化と聞いて真っ先に期待してしまうのが、金田一耕助のキャスティング、それと同様にもしくはそれ以上に期待してしまうのが多治見要蔵のキャスティング。

私的解釈ですが、これこそが野村版 八つ墓村 が打立てた大きな壁だと思っています。

八つ墓村の代名詞とも言える多治見要蔵の存在。

野村版で余りにも強烈な存在を示した多治見要蔵というアイコン。その衝撃さ故、観たものに刻み込む強い印象がボーダーラインとなり、以降の作品ではそのボーダーラインが高いハードルとなり、制作者、視聴者の前に立ちふさがる。

そういう観点から、制作者も視聴者も無意識に野村版の多治見要蔵という存在の呪縛に囚われているのでしょうね。

センセーショナルなビジュアルを武器にエンターテイメントとして成功した野村版。

しかし、当時の原作ミステリーファンには受け入れがたい仕上がりだったようで、批判の声も上がったと聞きます。

では逆に原作に忠実に再現してみては…。

恐らく野村版のイメージが強すぎて、物語の完成度よりもビジュアルの弱さが際立ってしまうのではないでしょうか。

度々映像化されるものの、原作に登場する里村兄妹の登場の有無問題同様、話題の争点にあがる多治見要蔵の存在感。しかし、1977以降の映像作品、それほど評価の高い作品が無いというのが実情。

やはり 野村版 八つ墓村 のインパクトがあまりにも高すぎるハードルになっている。

原因はそこのみではないにしろ、現段階で後続の作品が1977年を超えられないというのは、1977年の時点で最高のエンターテイメント作品を作り上げたという功績であり、あまりにも高過ぎるハードルを作ってしまったという罪でもあるのではないでしょうか。


伏線回収も霞むほどの見事な結び方

前振りからの…

最近はミステリー物に限らず、伏線回収やラストのどんでん返しなどが流行りですね。

私は伏線回収やどんでん返しというのはあくまで物語の演出としての最高の隠し味だと思っております。そしてこの隠し味が素材を最高級のものに引き上げることもありますね。

本作ではラストでの伏線回収やどんでん返しとはまた違った、またそれらが霞むほどの圧倒的な映画的快感を味わうことが出来ます。

本作では原作とはラストシーンが全く異なります。

ラスト、洞窟内で犯人を知った辰弥を殺害しようと襲いかかる森美也子

一方、洞窟外では金田一耕助が警察、村人を前に今回の事件の推理を語り出します。

「犯人は祟りを利用し、多治見家の莫大な遺産を横領しようとした森美也子です」。

ここから緻密なロジックで殺人事件の内容を解き明かされる…と思いきや…

大まかな犯行動機と殺害理由の説明はあったものの、推理という点においては、原作ファンから批判の声が上がったのも納得といえるほど大雑把なもの。

正直に言えば、私も、盛大にオカルト方面に期待をもたせたにも関わらず、やはり事件は人による犯行で、その犯行理由も手段もとても大味、ミステリーと呼ぶにはいささかお粗末ではないかと、物語終盤で興ざめのような感覚に陥りました。

しかし、ここまでの展開はあくまでも前振り

野村版八つ墓村の本領はここから発揮されます。

金田一耕助の口から語られたのは推理ではなく、森美也子の「家系」についての驚愕の事実でした。

32人殺しで多治見要蔵に一家皆殺しにされたのが3つの家族。

その3つの家族の家系を遡ると、かつて落ち武者殺しを企てた首謀者4人のうちの3人の末裔に当たる。

残る1人の首謀者は多治見要蔵の先祖である多治見庄左衛門。

つまり、尼子の怨念からすれば、残すところは多治見家の皆殺しのみ。

そして今回、財産の横領目的で多治見家の面々を殺害しようとしたのは森美也子。

金田一の調べでは、森美也子は尼子義孝の直系の子孫だというのだ。

長きにわたる怨念の連鎖は、多治見家面々の死亡で幕を下ろすこととなるー。

人による計画殺人の顔をした事件は、金田一耕助の調べによって 落ち武者の祟り というオカルトに姿を塗り替えました。

視覚による圧倒的なインパクト~名匠たちのケレン味~

実際この手の複雑な血縁や家系図的な話は、セリフを一回聞いただけでは理解しがたい側面も多いのですが、ここでも野村版八つ墓村は視覚的効果を効果的に使用します。

事件の一連の筋書きが金田一の口から語り終えられると、多治見邸から激しい火の手が上がります。

一聴しただけではわかりずらい血の繋がり。

そんな細かいことはどうでもいいんだと言わんばかりに、焼け落ちる多治見邸を高台から見下ろしほくそ笑む尼子の落ち武者集団のカット

このカット一つで

これはミステリではなく尼子の祟りによる事件だったんだ

と、オカルトを観客の脳裏に強烈な決定打として叩き込みます

さらに。

このカットの落ち武者の構図、なんとなく既視感がないでしょうか?

落ち武者達の不気味な並びのはずなのにどこか外連味がありませんか?

そう

かの名匠 黒澤明のもとでキャリアを積んだ監督 野村芳太郎と脚本 橋本忍という最高峰の黒澤組 出身の二人。彼らが名作 七人の侍 での有名な野伏りの構図、描写を落ち武者側の視点から描き直して、この八ツ墓村のクライマックスに投影したと言われています。

単なる恐怖演出にとどまらない、映像美的なこだわりがある所もエンディングの高揚感を極限まで引きあげています。

本当のラストで金田一は諏訪弁護士に対し、辰弥の実の父、亀井陽一もまた「尼子の子孫の可能性が高い」と語ります。

伏線回収ともどんでん返しとも違いますが、結末をふわっとした形で匂わせ、ビジュアルで結末の決定打を派手に観客に見せつける。映像が持つ強みを最大限に活かしたクライマックス。

原作とはかけ離れたエンディングですが、オカルト、エンターテインメントとしてこれ以上の成功はありませんよね

。

そして、ラストの金田一からの報告。亀井陽一は尼子の子孫の可能性が強いと…。

と、言うことは辰弥も尼子の血を引く者かも…

多治見邸が焼け落ちる様を高台から眺めている辰弥のカットが持つ意味合いも変わって来ますね…


おまけ 野村版八つ墓村を10倍楽しく観る方法

重い雰囲気とショッキングなシーンの連続。

子供の頃に本作を体験した私にとって、この映画はまさに劇薬であり、恐怖に震えながらもなぜか何度も観返してしまう、そんな特別な存在でした。

しかし大人になり、ハラハラドキドキから少し身を引いて冷静に見返すと、観えていなかった部分や当時気付かなかった面白いもの、新たな見所など色々なものが観えてきて新たな八つ墓村が観えてきました。

ここではそこで見つけ出した”私流”野村版 八つ墓村を10倍楽しき観る方法をご紹介したいと思います。

巨匠 芥川也寸志が奏でる八つ墓村の世界

本作の音楽を手掛けたのは巨匠 芥川也寸志。

あまりにも有名なメインタイトル。この曲が流れると、やはり頭の中には高台から見える広兼邸の風景が思い浮かびますね。

スケールが大きく、格調すら感じられるメインテーマ。それとは裏腹に、走る要蔵の心拍を表現したかのような躍動感がある楽曲 惨劇・32人殺し。

この曲、ストリングスが絶妙な効果を出していて躍動感があるのですが、これまた要蔵の心中を表現しているのか、個人的にどうにも旋律が要所々々で不安定な感じに感じるんですよね。そこがまた癖になるのですが。

そしてラスト直前。辰弥と森美也子が洞窟内を探索して竜の顎を探すシーンで流れる”竜の顎”と言う楽曲。

とてもメロウでムーディーな楽曲。八つ墓村には到底似つかわしくないメロウな曲なんですが、おそらくそこが味噌なんでしょうね。

この曲の数分後に巻き起こる、辰弥と森美也子による世紀の鬼ごっこ。そんな事が起こるともつゆ知らず、こんなメロウな曲をバックに探索をしている2人。世紀の鬼ごっこと対比すると、あら不思議、オカルトの恐怖も半減しますね。

毒舌 日本昔話

何も語らずとも、その出で立ちだけで多治見要蔵に勝るとも劣らない恐怖を与える 双子の老婆 小竹と小梅。

その強烈なビジュアルが故に意識がそっちに持っていかれ、なかなか話していることが頭に入ってこない。

しかも話す声が日本昔ばなしなので尚更。

それでもしっかり耳を傾けてみると…

辰弥を多治見家に送り届けた森美也子。夕食の後、辰弥のために片付けられた離れを見ていくことになった。そこで市原悦子演じる小竹が

「美也さん それがえぇ。急いでうちに帰ってもあんたを待ちよる人は誰もおりゃぁへん えへへへへ」

ただの悪口である。そして性格も悪い。

後の辰弥と親族の顔合わせの席でも小竹 小梅、毒舌のオンパレード。

森美也子の父、森壮吉は盆栽いじりはいい加減にしないと老け込むぞと老婆達に言われる始末。仕事にも目を向けないと未来永劫、安泰が続くものではないと。その引き合いに出される森美也子。ここでも小竹が

「あの美也さんの器量にしても、あの若さにしてもなぁ、あのままじゃ若後家の生殺し。早くに西家から美也さんが出ていけるようになぁ」

美也子、完全なるもらい事故。

そして小竹はやっぱり性格が悪い。

語り口調が ”まんが 日本昔ばなし” それで息を吐くように自然と悪口を吐き出されると、どうしても笑ってしまう。

もしかしたら本当にコミカルさを出すための演出だったのかも???

豪華すぎる”スーパ松竹大戦”

本作は監督 野村芳太郎 脚本 橋本忍 音楽 芥川也寸志 。まさに松竹黄金期を支えたプラチナトリオで制作されました。

そしてこの3人のみならず、キャスト陣も凄まじく、松竹の看板作品 男はつらいよ から 渥美清 下條正巳 が出演。寅さんとおいちゃんである。本作での直接的な絡みはないものの、辰弥の幼少期役を演じているのは吉岡秀隆さん。男はつらいよの諏訪満男である。

非常に松竹色が色濃く出たキャスティングで、まさに”スーパー松竹大戦”とも言える豪華な布陣です。

そして、ここを軸に非常に面白い観方ができますね。

この野村版 八つ墓村。金田一耕助役は渥美清。

なんでも本作の主人公はあくまで寺田辰弥であって、金田一は狂言回しだと。実際原作でも役回りはそのとおりです。

それが故に、東宝版 市川版の石坂金田一のように二枚目が目立ってはダメだということで、渥美清に白羽の矢が立ったようです。それはそれで結構失礼な話だとは思いますが、そういう意味では非常に的を射たキャスティングだったんでしょうね。

そして、この渥美版金田一を車寅次郎に置き換えて観ると怖さどころか、非常にシュールな画になります。

下條正巳演じる工藤校長と金田一耕助の絡み。こちらは真面目な感じの寅さんとおいちゃんみたいな感じで感慨深いものがありますね。

ラスト、洞窟では辰弥と美也子が世紀の鬼ごっこを展開している中、外では金田一がとくとくと事件の概要をみんなに語っています。

これが、いつものように仲間を前に与太話をしている寅さんだと思って観るとと非常に面白い。綿密に作られた家系の話も、森美也子の殺人の動機も全部寅さんの与太話だったら…

意気揚々と与太話をしている寅さんと、洞窟の中で行われている生死をかけた鬼ごっこ。対比がシュールすぎて個人的には非常に面白いと思っております。

逆に本編ラスト、諏訪弁護士との対談シーンでお茶を飲んだ金田一がむせるという、前半導入部の井川丑松を彷彿とさせるシーン。

このシーン、台本通りなのかアドリブなのか定かではありませんが、唯一本作で渥美清のコミカルさが出るシーンであり、若干、車寅次郎を意識しているようにも思われます。

毛色は違いますが、このシーンも見どころの1つだと思います。

恐怖に慣れてしまったあなたに!

未だに本作を見る時、さすがに昔ほどの怖さはありませんが、多少身構える感じがあります。

そんな風に私と同じ感覚をお持ちのあなたへ。

もし持っていなければ、DVDを借りてくるか購入していただき、部屋を真っ暗にしてDVDをプレイヤーにセットしてください。

画面は大きければ大きいほど良いですねー。音量も可能な限り大きめで!。

準備が整いましたら、トップメニュへー行き、しばらくそのまま放置で…。きっと新鮮な気持ちが蘇ってくるはずです。

あと、本編の5:51秒あたり窓の外をご覧ください。撮影事故だとは思いますが…

と、色々な楽しみ方のできる 野村版 八つ墓村。制作陣の愛が詰まった名作ですね。

他の八つ墓村作品との対比をしながらの観賞も楽しいでしょうね。原作も含め今後も皆に愛される作品になるといいなぁあと思います。

そして、今秋公開される 清水崇版 八つ墓村。どう展開されるか、今から楽しみでしょうがないですね。


野村版 八つ墓村 主要データまとめ

以下、野村版 八つ墓村 主要データまとめになります。

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